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05/09: 浮雲

九月四日、日曜日、成瀬の生誕百年回顧上映において最初の『浮雲』が上映されました。この後三度上映の機会があります。朝11時からの初回上映で一時間前には定員の約半数(160人)を突破した様です。札止めは開演20分前ぐらいか。フィルムセンターにはよく通うほうで、ふだんここの観客の特殊技能的お行儀悪さ(シャーペンでノートの引っ掻き音をしきりに立てるひと(私だ!)や、どんな映画でも開始10分以内に必ずいびきを立ててみせる人や、ポリ袋からの飲食物取り出しをことさらオーバーにやってのけるひと)を知悉していたはずの私でも、場の奥行きの身の丈通りにシャンと収まる引き締まった緊張感に初めて触れた気がします、皆さん朝早くからしっかりと覚悟されてきたんだなあ...もちろん私も....、至極当たり前のこととして余計な雑音のない世界が実現される忘れ難い上映になりました。

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20/07: 黒猫

1934年のユニヴァーサル映画『黒猫』はきわめて風変わりな映画である。それを一口でslyな映画と表わせてしまえるにもかかわらず、だからといって単純な作品と言い切ることが不可能という「曇りない曖昧さ」に包まれた不可解な映画である。既にフランケンシュタインを演じたボリス・カーロフとドラキュラを演じたベラ・ルゴシの両怪優の共演作としても知られてる作品ですが、彼らが演じたのは怪物フランケンシュタインやドラキュラとは正反対に、明快なキャラクタを欠くことで得体が知れなくなっている人物たちです。「曇りない曖昧さ」というと作品へのプロデューサの干渉を排する目的でショットを細かく撮り分けて編集困難にしたというヒッチコックを思い出しますが、やや似てるもののこちらの方が遥かに構造的かつ重層的な気がします。最初のトーキー作品と云われる『ジャズシンガー』が撮られたのは1927年ですから34年当時のハリウッドで無声映画一般は過去のものだったことでしょう。この時代風潮にあからさまに逆らって撮られたのが『黒猫』ではないかと思います。つまり、トーキーで撮られたサイレント映画というわけですが

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06/07: カイロの紫のバラ

ウッディ・アレンの映画で『カイロの紫のバラ』がとても好き、
アレンの映画は脚本がとてもよく書けていると思う、大向こうを唸らせる派手な演出とか目に焼き付く視覚的なショットに全くと云っていい程お目にかかったことがないのは脚本の完成度が高いせいかと思う、ストーリィは破綻がない。カイロ?のスクリーンをめぐる現実と虚構の交錯はかなり複雑なものだと思うのに、見ている方は苦労なく飲み込める、ようにまでよく書かれたシナリオだと思う。私は意地悪だから話がスムーズに運ばれて行くのを感じるたびに内心何かおかしい、何か違うとあせっていながら、でもあえて抵抗しようと思わないのは何故だろう。カイロ?のなかでヒロインのシシリアは二度キスシーンを演じる、一度は映画の作中人物と、二度目はその人物を演じる俳優と。「映画のキスは本当ではない」という科白の後に続けて、唇にそっとクッションを圧しあてたときのような柔和な触覚を刺激するラブシーンが心地よかったからだろうか。', 'ラストシーンで、ミア・ファロウのスクリーンを見つめる目の輝きは脚本以上の何物かだ、あのとき彼女の目に映っていたものを知りたいのだけれど、あれはジンジャーエールロジャースならぬ照明ライトなんだよ、ではない、シナリオはそれを教えてくれはしないだろう。

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26/06: チャップリン短編DVD2

1919年?1922年の作品/A Day''s Pleasure/Sunnyside/The Idle Class/Pay Day/(FIRST NATIONAL PICTURES)
4作品はすべてMusic Composed by Charlie Chaplinのクレジットをもつ。彼が映画音楽を、と聞くと妙な感じだけれども、じっさいに聴いていると違和感はない。これらの作品の脚本/製作/監督のクレジットはすべてチャップリンであるのみならず、IMDbによれば編集も彼らしい。フィルム編集的に処理したと云われれば、そんな気もする音楽構成である。全体的な構築とか一貫した構成というよりは気まぐれな遊び心からのバレエ組曲のよう。

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