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03/10: シネマの冒険 闇と音楽2012

フィルムセンター定例の伴奏付きサイレント上映企画は、去る9月4日〜9日に開催されました。今年はロシア・ソヴィエトの無声映画から8本がラインナップされました。ほとんど観る機会のない作品ばかりです。普仏戦争下のパリコミューンを描いた劇映画『新バビロン』(1929年)は伴奏なしの回の上映でしたが、恐らくこのシーンは皆で声を張り上げて「ラ・マルセイエーズ」を歌っている、こちらのシーンは「インターナショナル」だろうか。新奇な画面構成や撮影技法の輻輳のなかに浮上する幾筋ものストーリィに、じゅうぶんに可視化されてある不可聴の音楽がダイナミックな奥行きを付加する。トーキー以降にサウンドトラックを得て深く根付いた手法の萌芽であるでしょう。新たな配置はまた、音楽自身の秩序を組み替えようとする。19世紀末に作られ次世紀の社会主義運動まで引き継がれる「インターナショナル」と18世紀の王制打破の南仏の志願兵たちの「ラ・マルセイエーズ」、古めかしく“見える”のはどちち?



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29/04: こんにちは, スポッツニュースです-3-

[承前] 引き続いてSBSスポ−ツニュースの英訳の問題点について考察する。



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26/03: こんにちは, スポッツニュースです-2-

[承前] 引き続いてSBSスポ−ツニュースの英訳の問題点について考察する。



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22/03: こんにちは, スポッツニュースです-1-

3月14日に海の向こうの韓国でオンエアされた一つのニュースがフィギュアスケートファンの間に物議を醸すことになる。

韓国SBS スポーツニュース キムヨナ独占インタビュー

その日、韓国では公共放送のKBS、民放のMBCに次ぐキー局、SBSのスポーツニュースが同国のフィギュアスケート選手キムヨナへの独占インタビューを放送している。報道内容は「同国唯一のトップ選手であるキムは試合前のウォームアップ時、他国選手から意図的な練習妨害を受けている。妨害しているのは日本選手である。」というものである。世界選手権まで10日足らずのこの時期にこうした報道が行われることも異例なら、特定国を名指しているからというのではない、練習妨害を問題にすることそれ自体が異例である*1。ニュース映像はその日のうちに韓国のyoutubeにアップされる。直後から報道のメッセージ「日本人による妨害行為」の強化を目的とする種々の派生動画が韓国のキムヨナファンの手で作成されてyoutubeにアップされる。それらには続々とハングルによるコメントが付けられて韓国内でWBCほどではないにしろホットな話題となる。情報は少しの時差で日本の浅田真央ファンによってキャッチされて国内掲示板やSNSにニュース動画の所在が知らされるのを合図にそれに対する反論コメント作戦が開始される*2。さらにその後、ニュースは主要な北米のフィギュア掲示板に飛び火して世界中のファンの知る処となる。SBSニュースにはキム選手のインタビューだけではなくて最近の競技会でのキム選手の練習風景の切れ端し映像がいくつかモンタージュされているのだが、キム選手に悪さをしたという選手は映像内でモザイク処理で表わされている(恰も犯罪者であると云わんばかり!)為、それが誰なのかは判読不能である。ところが派生動画のほうではモザイクをかける前の動画が使用されているものもあったりもするので犯人特定は容易である。SBSでぼかされているのは浅田真央、中野友加里の2名である。さらに派生動画のほうは「日本選手による妨害行為」のメッセージを敷衍すべく、オリジナルに無い安藤美姫の捏造動画*3が追加される。こうして半日も経過しない間に日韓ファンのヒステリックな祭り状態になる。ところが一夜明けてみるとあ〜ら不思議、騒動は一気に終息へ向かう。言い出しっぺのSBSは当該動画の著作権者という伝家の宝刀を抜いてyoutube動画を削除する火消しに躍起となる。そして韓国のキムファンは、キム選手はインタビューで日本選手とは明言しなかった、とか、SBSがインタビューを意図的に捩じ曲げて反日感情を煽る番組を作成した、とか、SBSに云わせると、韓国ファンが暴走した、とかetc.。北米掲示板の議論の方向も「SBSの行き過ぎ報道」という穏当な落とし処に落ち着いた後は日韓の掲示板にナショナリズムの火種がぶすぶすと燻り続けるばかりである。


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25/02: 第140回芥川賞選評

芥川賞は、その受賞が書き続けることの社会的担保を保証するという意味に於いて登竜門である。とはいえ、べつだんここに賞の権威的側面を強調したいのではない。寧ろその観点に立てば、作者によって選ばれた文字言語以外の多種多様の素材:テーマ、モチーフ、ストーリー、それら作者/読者の個別的関心事に小説の見取り図を提供するものたちは当座の方便に過ぎない、選考理由としての尤もらしさを失うのではと言いたいのである。今回の選評のなかに、それら相変わらずの選考理由を認めるのは手もないことである。そこで彼らは何を選びとるのか、形骸化した儀式に付き纏いがちな商業主義、マンネリズム、カタログ化に抗って作家の見識を示すのか。もとよりそれは「選ぶこと」の場であったのか。新橋の料亭に集う九名の委員のひとり、小川洋子氏の選評を締めくくることば——「津村さんはこれからどんどん書いてゆくだろう。それは間違いないことであるし、いちばん大切なことである。」——が、船首が砕くシャンパンボトルによって聖別された処女航海の図とけっして似ることのない儀式への陰鬱な銅鑼の音に響く。


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19/08: 日本女子マラソン、北京オリンピックを敗走

昨年8月の大阪世界陸上から今年3月の名古屋国際女子マラソンまで半年間の4大レースで三名のオリンピック出場選手を選ぶ。この熾烈な競争を勝ち抜いた勝者にはさらなる試練、北京オリンピックでのメダル獲得の使命が待ちうけている。日本が世界に誇る代表メンバー、野口みずき(30歳、シスメックス)、土佐礼子(32歳、三井住友海上)、中村友梨香(22歳、天満屋)、および補欠の森本友(24歳、天満屋)は、しかしながら土佐は途中棄権、中村は13位、野口は直前の出走辞退、その報を受けた森本は補欠の役目を果たすことはなかった。マラソンの熱心なファンではないので負けてくれて一向構わないのだけれど、たまたまネットで野口のプライバシーをブログで暴露した記事の存在を知り、その直後に野口の出場が怪しくなって来たという噂がネットで飛び交って、なかにはブログ問題が原因だと言い出す輩もいたりして。まさかそんなことで出られなくなるわけないでしょうからと、ぼちぼちと時系列を追っているうちに事態は驚く程のスピードで進展し、本当に野口は欠場してしまうし、補欠は初めから出場する気のないことが判明する。二人で臨んだレースが終わってみると土佐と中村は惨敗。鳴り物入りで選出した四名のどれもこれもが使えなかったとは。バルセロナの有森の銀メダル以来栄華を縦にする女子マラソンに何が起こったのか。


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13/08: 第139回芥川賞選評

第139回芥川賞受賞作「時が滲む朝」を読む。1964年に中国に生まれて1987年以来日本に居住する作者が日本語で小説を書くというのはいったいどのような心理が働いてのことなのだろう。わたしが同じ立場であったならけっして選択しない道である。両国語は下手に似ている部分が無きにしも非ずで、どうせなら思い切って未知の言語を選びたい。

偉大なる自由民主の国──アメリカに生まれれば、百歩を譲って、八九年の後に亡命先としてアメリカを選択すれば、さらに百歩を譲って、世界中のほとんどの国にビザなしでいける日本の国籍でも持っていればな。*1


作者にとって、民主主義の高度な達成であるアメリカと比べて曖昧さを残す日本の自由主義的風土(この先どこへでも行けそう、政治的にも、あるいは単なるトランジットとしての成田空港でもよい)のモラトリアム空間のなかで生きること=書くことに意味があったのであれば、曾て孫文も魯迅も蒋介石も周恩来も先ず日本を経由して軈て中国へ帰っていった当時から事情はそう変わっていないのかもしれない。と、二十世紀中葉、日本にとって最も近くて遠い国であった中国民衆の今日の日本観を予想してみる。


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28/02: 芥川賞ジャーナリズム・新派旧派それ以外

第138回芥川賞受賞作品「乳と卵」を読む。いきなりの関西弁が控え目にオフビートを打つ調性に面喰うが、全体の構成は案外掴み易くて以後頁を捲るテンポはトントン拍子である。クライマックスの卵かけの場は可笑しい。ここは可笑しいから噴いてもいいの?一度呼吸を整えた後、周囲に気兼ねしいしいならいいかも。うん、そだね。


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06/08: 「『北北西に進路を取れ』の空間システム」 Spatial Systems in North by Northwest. (1992) -- 1 --

小難しい批評の類いは専門家に任せておけと云うのは嘗ての哲学や芸術の話であっても映画には当てはまらない;モデルニテ以後の産物としての映画は生来、誰もに意見表明の機会を提供する開かれた傾向を保持すると考えられる(専門家であれ、門外漢であれ、玄人であれ、素人であれ、それに最も相応しい特権的語り手の存在を保証する如何なる断言も存在しない)。マルクス主義に基づく難解なモダニズム批評で知られる文化・文芸批評家フレドリック・ジェイムソン【Fredric Jameson】の「『北北西に進路を取れ』の空間システム」*1は、後期資本主義社会の解読に影響力を持つ学者であると同時に所謂シネフィルではない人物による映画分析として興味深い。


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