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01/12: 西本監督、安らかに

2番は誰だったろう。気になって調べてみたら田宮謙次郎だった。田宮というと昔読んだ本の日大柔道部出というイメージばかり覚えている。否、1960年40歳の西本に率いられてパリーグを制した大毎ミサイル打線の2番である。セとパの最大の違いは2番打者である(あった)。それが始まったのは何時なのか、確認できる範囲では西鉄ライオンズの仰木に落ち着きそうである。去る11月25日、パリーグ草創期からの重鎮西本幸雄氏が亡くなられて最初に思ったことである。大毎を後にした西本は次に阪急黄金期の大熊忠義、近鉄いてまえ〜打線の石渡茂と渋い2番打者を育てている。仰木を2番に起用したのは知将三原脩だが、彼は西本と正反対にヤマっ気じゅうぶんの魅せる軍師だった。川上哲治と同世代の西本には斯界の大先輩かつ野球界の大スターいうことになる。堅実すぎて面白みを欠くという風評に一顧だに与えず常勝の道を模索していた西本采配の根底には川上巨人の勝つための管理野球と一線を画して三原魔術との葛藤があったように思う。現在のパリーグにはブレーブスもオリオンズもいない。バッファローズだけが残る。イチローがブレーブスの後身ブルージェイズ時代に2番を勤めたことがあったかどうか思い出せないのだけれど、彼のスタイルはパリーグ2番の理想型なのである。イチローの成功ととも三原-西本-仰木のパリーグは世界的となった。西本さん、お疲れさまでした。どうもありがとう。



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25/02: 第140回芥川賞選評

芥川賞は、その受賞が書き続けることの社会的担保を保証するという意味に於いて登竜門である。とはいえ、べつだんここに賞の権威的側面を強調したいのではない。寧ろその観点に立てば、作者によって選ばれた文字言語以外の多種多様の素材:テーマ、モチーフ、ストーリー、それら作者/読者の個別的関心事に小説の見取り図を提供するものたちは当座の方便に過ぎない、選考理由としての尤もらしさを失うのではと言いたいのである。今回の選評のなかに、それら相変わらずの選考理由を認めるのは手もないことである。そこで彼らは何を選びとるのか、形骸化した儀式に付き纏いがちな商業主義、マンネリズム、カタログ化に抗って作家の見識を示すのか。もとよりそれは「選ぶこと」の場であったのか。新橋の料亭に集う九名の委員のひとり、小川洋子氏の選評を締めくくることば——「津村さんはこれからどんどん書いてゆくだろう。それは間違いないことであるし、いちばん大切なことである。」——が、船首が砕くシャンパンボトルによって聖別された処女航海の図とけっして似ることのない儀式への陰鬱な銅鑼の音に響く。


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28/08: 或る野球選手の日記

北京オリンピックでほとんどあり得ない惨敗を喫した日本プロ野球。1984年アマ代表で金メダルを獲得したロス五輪当時の監督松永怜一氏によると、オリンピックの結果は将来のためのリポートとして残さなくちゃいけないそう。スポーツ新聞の監督談みたいなものは初めから求められていない。プロの指導層に果たして今回の敗因を分析しドキュメント化する能力があるのか。まさかオリンピック最後の野球競技を来春の第二回WBC(ワールド・ベースボール・クラシック)のためのタタキ台に利用しました、なんて口が裂けても言えないだろうが。野球ストーリィというのはTVのスポーツニュース、新聞、雑誌といったマスコミによって流通する。プロ野球ならオンはチームの勝敗、ペナントの行方、選手個人の活躍や記録、オフは選手とフロントの駆け引き、補強やFAにヴァラエティ番組出演と、毎年同じネタが飽きもせず繰り返される。2001年秋にFAでオリックス(当時)からカージナルスへ移籍した田口壮が「Mail from So」というタイトルで日記形式の近況報告を始めたのは2002年3月3日、まだ一般にブログという語が浸透する前のことである。2006年のワールド・シリーズ優勝メンバーとして活躍したセントルイスから今季フィラデルフィア・フィリーズへ移籍したが、若い選手が多いチームのなかで出場チャンスの激減した現在も日記は継続中である。


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13/08: 第139回芥川賞選評

第139回芥川賞受賞作「時が滲む朝」を読む。1964年に中国に生まれて1987年以来日本に居住する作者が日本語で小説を書くというのはいったいどのような心理が働いてのことなのだろう。わたしが同じ立場であったならけっして選択しない道である。両国語は下手に似ている部分が無きにしも非ずで、どうせなら思い切って未知の言語を選びたい。

偉大なる自由民主の国──アメリカに生まれれば、百歩を譲って、八九年の後に亡命先としてアメリカを選択すれば、さらに百歩を譲って、世界中のほとんどの国にビザなしでいける日本の国籍でも持っていればな。*1


作者にとって、民主主義の高度な達成であるアメリカと比べて曖昧さを残す日本の自由主義的風土(この先どこへでも行けそう、政治的にも、あるいは単なるトランジットとしての成田空港でもよい)のモラトリアム空間のなかで生きること=書くことに意味があったのであれば、曾て孫文も魯迅も蒋介石も周恩来も先ず日本を経由して軈て中国へ帰っていった当時から事情はそう変わっていないのかもしれない。と、二十世紀中葉、日本にとって最も近くて遠い国であった中国民衆の今日の日本観を予想してみる。


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09/08: UME物語・2008

カラッとした晴天を待ちわびるあまりに梅の土用干しが遅れ気味だったけれど、8月に入って最初の週末の2日から4日に決行(まさにその心境で)した。それでも最終日は夜半から雨で三日三晩とはいかず、三日二晩となった。昨年と比べて今年の梅にはずいぶん手こずらされたけれど、梅干と梅酒とそれに今年は辣韮も!の仕込みは終わった。あとは数ヶ月後の完成を待つだけ。でよかっただろうか。



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28/02: 芥川賞ジャーナリズム・新派旧派それ以外

第138回芥川賞受賞作品「乳と卵」を読む。いきなりの関西弁が控え目にオフビートを打つ調性に面喰うが、全体の構成は案外掴み易くて以後頁を捲るテンポはトントン拍子である。クライマックスの卵かけの場は可笑しい。ここは可笑しいから噴いてもいいの?一度呼吸を整えた後、周囲に気兼ねしいしいならいいかも。うん、そだね。


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15/04: 『スプートニクの恋人』

小説の半ばで、登場人物の一人Kは失踪中のすみれが残した二つの文書を見つける。ひとつはすみれが見た最近の夢が綴られてあり、彼女は同型の夢をこれまで繰返して見ている。もうひとつは十四年前にミュウが遭遇した不思議な体験をすみれが書き取ったものである。Kはすみれの失踪が公開捜査になる直前に、彼女のスーツケースから文書の入ったフロッピーを抜き取る。どうしてそうしたのか、その理由を私は思い出せない。いづれにせよKは、彼女の行方を明らかにするのは警察の捜査ではなくてこれらの文書を辿ることを通してであると確信していたのだ。そうしてKは同時期に書かれたそれらの共通点について考察する。


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09/11: 愛染かつら

1938-39年の作品を戦後再編集して公開したダイジェスト短縮版、しか残っていないようだ。有名な作品だったにもかかわらず寧ろ有名だったからこそ、散逸は不可避であり深刻なのだと思う。萬城目正作曲の主題歌のタイトル『旅の夜風』がピンと来ないほど、旅の部分の省略が激しい。この曲を聴くと阿部武雄の『国境の町』(1934)、それに加えて古賀政男の『緑の地平線』(1935)でメロディがこんがらってしまい、子供の頃のわたしはこのなかで最も出来の良い『緑の…』のメロディをどうしても憶えられなくて苛ついていた。出だしのフレーズから次に移った途端二つのうちどっちかが我物顔に居座ってしまうのだ。

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09/11: メロドラマに就いて

困難な言葉であるメロドラマについて考えるとき、何かに触れたことでそれについての先入見を否定しきる自信があるから考え始めるのに、やがて根拠のない迷妄状態に陥ってしまいがちだ。

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20/06: コピーとオリジナル…

コピーとオリジナル…かぐや姫の要求を満たすべく贋造を試みた三名に関して、彼らはそのペテン性を内心で恥じていたのでしょうか。答えは否、紫式部によれば、蓬莱の珠の枝の贋造は文献資料のたいそう深い読解に基づいて制作されたと評価される。ただ、詞書(宝物の由来となる庫持皇子の創案した冒険譚)に疵を認めているばかりである。所望品が最初から文献上の想像物であることは読者に知られており、当時の常識に従って物語は読み進められていく。この世のものではないというのは、紙の上のものという意味で、物語の枠組とともに同じ紙の上に記されるのだから、ゆくゆくは両者間の区別は意味がないということになりかねない。こうして上方から塗り込められて下層に埋もれ視界から消えたものの中にオリジナル自身ではないオリジナルへ通じる途があるだろう。

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