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03/10: シネマの冒険 闇と音楽2012

フィルムセンター定例の伴奏付きサイレント上映企画は、去る9月4日〜9日に開催されました。今年はロシア・ソヴィエトの無声映画から8本がラインナップされました。ほとんど観る機会のない作品ばかりです。普仏戦争下のパリコミューンを描いた劇映画『新バビロン』(1929年)は伴奏なしの回の上映でしたが、恐らくこのシーンは皆で声を張り上げて「ラ・マルセイエーズ」を歌っている、こちらのシーンは「インターナショナル」だろうか。新奇な画面構成や撮影技法の輻輳のなかに浮上する幾筋ものストーリィに、じゅうぶんに可視化されてある不可聴の音楽がダイナミックな奥行きを付加する。トーキー以降にサウンドトラックを得て深く根付いた手法の萌芽であるでしょう。新たな配置はまた、音楽自身の秩序を組み替えようとする。19世紀末に作られ次世紀の社会主義運動まで引き継がれる「インターナショナル」と18世紀の王制打破の南仏の志願兵たちの「ラ・マルセイエーズ」、古めかしく“見える”のはどちち?



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09/11: 今日の映画

今日はNFCで『朝から夜中まで』と『脱走者』を観る。ドイツ表現主義映画の前者は歪んだ装置の配置やサイレントに逆らって饒舌な小道具の介入が表現主義絵画と地続きの空間を成立させる。在るか無きかのその間隙に大胆にも滑り込んだものたちによって示される時空の焦燥を愛おしく思う。
ソヴィエト・モンタージュ派プドフキンのトーキー第一作の後者で「ソヴィエトの独裁者」の台詞が聞かれるとき一瞬ドキッとするのだけれど、トーキー初期にありがちな音と画とのシンクロニシティのルーズさを逆手に取ってナラティヴを輻輳させるという意外な展開に。当時の独裁者は作者のメッセージを正しく受け取り得たろうか。

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29/02: 『春なき二万年』 20,000 years in Sing Sing (1932)

高級マンションの上階のフラットにトミーは久しぶりに帰ってきた。名の通ったマフィアである彼の服役後、そこは情婦フェイの独り住居である。彼女はつい最近走行中の自動車から飛び降りて瀕死の大怪我を負い絶対安静の状態にある。模範囚である彼への特別の計らいとして、所長はトミーに単身での見舞いを許可したのである。夜までに必ず刑務所へ戻るという条件付きで。


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23/04: 3D!!!

ヒッチコックの『ダイヤルMを廻せ』が3D映画として撮られたことは知っていた(主に鑑賞の際、眼鏡着用の煩わしさから3Dブームは思いの外短命に終わり、公開されたのはノーマル版であった)けれど、じっさい3D版で観た場合、どのように(違って)見えるものなのか迄は思い至らない。先日、この等閑されて久しい問題に新たなスポットライトを投じる絶好の機会に遭遇した。4月上旬に開催されたFIAF 2007 TOKYOで、3Dに関するレクチャーが例の色眼鏡(参考上映)付で行われた。そこには未知の驚きが地雷のように仕込まれていた。


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12/06: クレールな鏡の下

フィルムセンターでは現在「フランス古典映画への誘い」が進行中である。NFCニューズレター67号に武田潔氏がそれに関して一文を寄せていらっしゃいます。氏のライフワークとも言うべき「鏡」への愛着を滲ませる“「明るい鏡」の余白に”という題にかつての『鏡の誘惑』の麗しい読後感が思い出されます。ここで取上げられるのは1920年代のアヴァンギャルドを経て大戦前のフランスを代表する映画作家の一人となるルネ・クレールです。同じ批評から出発しながら後年ヌーヴェルバーグが掲げた作家主義【politiques des auteurs】により黙殺されてしまう不幸な行き違いの映画史が、亡くした児の齢を数える想いと共に綴られてあり、胸が痛みます。


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27/05: 『人間』Ningen(1962)

予備知識としては新藤兼人監督作品というくらいしかない状態で、このタイトルからどんな作品が予想できるだろう。野上弥生子原作、独立プロ近代映画協会作品。上映後新藤監督の談話で触れられていた処だと、未だメジャー映画会社間の協定が健在の頃、独立プロでの映画製作は種々の困難が絶えなかったけれど、好きで映画を取ることの自由の前では何も苦にならなかったとか。費用のかかるスタジオセットでは作れない映画を目指されたようです。


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04/04: シナリオ作家 新藤兼人

今日からNFCで新藤兼人の特集が始まる。期間中(4/4〜5/28)は明治45年生で現役最年長監督の作品が67本上映される。初日の今日は『安城家の舞踏曾』が上映され、また新藤氏からのご挨拶もありました。いつもどおり元気一杯の印象です。


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31/03: 『ヨシワラ』Yoshiwara (1937)

この作品のヒロイン、コハナを演じる田中路子はオペラ『蝶々夫人』のプリマとしてウィーンで成功し、また前年のオーストリア映画『恋は終わりぬ』のヒロイン役で映画デビューしている。『恋は…』は、ニューヨークでの生活に憔悴した初老の作曲家が故郷であるウィーンに帰ってくるところから始まる。日本から音楽の勉強に来た娘(田中)との出逢い、彼女というミューズを得て芸術家として再生していくが…、という筋である。ここでの彼女は一見すると断髪のモガ風、ひとたび歌唱が始まるとエキゾチックな女性美に満ちた東洋趣味のシンボルとなる。このディーヴァの西洋人から個性的なと云われそうな顔立はむしろ日本人の中では殆ど目立たない性質のものである。スクリーンに登場する伝統的な美人ではないことが反って彼女を日本女性一般の記号にしたように思われる。求められる東洋のステレオタイプにきちんと嵌る一方で、じっさい声楽の勉強に単身渡欧されたパイオニアの一人でもある彼女の自然体のヤングレィディぶりがちらほらと垣間見えたりする様子もユニークである。さて、『ヨシワラ』ではどうかというとこれがよくわからない。


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21/03: 『ニーナ・ペトロヴナ』 Die Wunderbare Luige der Nina Petrowna (1929)

サンクト・ペテルスブルクの豪奢なアパルトマンで何不自由なく暮らすニーナは貴族武官の愛妾である。ある日バルコニーの下を行進する近衛連隊の若い少尉を見初めて薔薇を投げる。受け止めた少尉との恋の始まりは二人の仲を嫉妬する貴族武官の庇護を捨て市井のアパートでの貧しい生活の始まりでもあった。若い二人の恋は順調に進むように思われたが、魔が射したようにポーカー勝負で不正行為を働いた少尉の弱みを握る貴族武官は、それをタネに男と別れて自分の元に戻るようにニーナを脅す。恋人の破滅からの救済と引き換えにニーナは条件を呑む。そうとは知らない少尉は豹変したニーナの態度に怒り彼女の元を去る。翌日かつてのアパルトマンのバルコニーに立って近衛連隊の行軍を見送るニーナの目に大粒の涙が…


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26/02: パンドラからカリガリまで

映画が見直す度に違って見えるというのは本当だろうか。もちろん本当。席によってスクリーンの形が変わって見えることはあるし、他に気を奪われて集中できずにただ眼前を映像が流れていく状態になることもあるだろう。昨日(2/18)の『カリガリ博士』と『パンドラの箱』の場合はそれとは別の理由でそれぞれに異なる作品に見えてしまいました。一本の作品は見直すたびに新たな関心を掻き立てるものだから、改めて意識に上ったその時点まで見過ごされていた些細なディテイルにフォーカスを遷したように見えたことはどうでもよさげで、これまでの何もかもがそれによって台無しになることのない程度に儀式化された自己追認作業に過ぎないのだからと言ってしまうと詰らないけれど、記憶の更新とはおおかたこんなものかも知れない。今回の場合は、見た筈のものが無いとか見た憶えのないものが在るとかいう話だから明快に違う、というべきか、あるいはまた違っているようにも思われました。


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