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03/10: シネマの冒険 闇と音楽2012

フィルムセンター定例の伴奏付きサイレント上映企画は、去る9月4日〜9日に開催されました。今年はロシア・ソヴィエトの無声映画から8本がラインナップされました。ほとんど観る機会のない作品ばかりです。普仏戦争下のパリコミューンを描いた劇映画『新バビロン』(1929年)は伴奏なしの回の上映でしたが、恐らくこのシーンは皆で声を張り上げて「ラ・マルセイエーズ」を歌っている、こちらのシーンは「インターナショナル」だろうか。新奇な画面構成や撮影技法の輻輳のなかに浮上する幾筋ものストーリィに、じゅうぶんに可視化されてある不可聴の音楽がダイナミックな奥行きを付加する。トーキー以降にサウンドトラックを得て深く根付いた手法の萌芽であるでしょう。新たな配置はまた、音楽自身の秩序を組み替えようとする。19世紀末に作られ次世紀の社会主義運動まで引き継がれる「インターナショナル」と18世紀の王制打破の南仏の志願兵たちの「ラ・マルセイエーズ」、古めかしく“見える”のはどちち?



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21/09: Alice is dead

PCゲームはカードゲームやピンボール等を時折思い出したようにするぐらいで、寝食を忘れて打ち込む程ではない。例外的にハマったとしても長続きしない。すぐあきちゃうのだ。今回紹介するゲームは偶然RSS*1で目に留まったもので適度に軽いタッチだから凭れない替りにいくらでも行けそうである。タイトルの「Alice Is Dead Chapter 1」からすると、お替わりが届く日はそう遠くないかも。

Alice_Is_Dead Chapter 1

◆Alice Is Dead Chapter 1 へのリンクはこちらから
legitgames:Alice Is Dead Chapter 1
newgrounds:Alice Is Dead Chapter 1


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12/09: 『乙女シリーズ その一 花物語 福壽草』 Fukujusô (1935) -1-

ラヌンキュラセアエ ペレニアル《Ranunculaceae perennial》【学名】、アムール・アドニス《amur adonis flower》【英名】。またはアドニス・ラモサ《adonis ramosa》【通名】。花言葉は永遠の幸福。

吉屋信子原作の「花物語」(1916〜1924)の一篇を新興キネマが映画化した。その一ということは、その二、その三と続いたのであろうか。制作は相前後しながら一月後れの公開となる「釣鐘草」がその二で。それでおしまい。他に1940年に同じ「釣鐘草」を東宝が映画化した記録がある。1920年代には有るか無きかであった吉屋原作の脚色作品は1930年代になると一挙に30近くまで増加する。幾つか拾っただけでも、女人哀愁、女の友情、女の階段、女の約束、女同士、女の教室、と女性向けのメロドラマを期待させるタイトルが並ぶ。大正期の少女雑誌に断続的に連載された原作「花物語」にメロドラマ臭は希薄である。夫々に花の名前を与えられた断章を束ねる書物のブーケは、前後の脈絡を欠くが為にかえって鮮明であるような少女期の想念の儚さを花のイメージに寄せてスケッチする。原作に出来るだけ忠実な脚色を試みようとすれば、開花と萎凋の植物界のモノトーニアスな反復が文章の織り上げるセンチメンタリスムにずれ込み規則性の綾をなす処まで、つまりイメージの気紛れによく耐え、読書体験にも似た何ものかになるまで——そうした実験映画を標榜するわけではない『福壽草』は、当然ながら原作に忠実な作品ではない。 原稿用紙十枚余の掌編を67分の劇映画にするために加えられた主な変更を挙げると、先ず時間経過である。原作の時間はヒロイン薫の尋常科二年生(7歳)から女学校二年生(14歳)までの7年であるが、映画では女学校の一年半のなかに出来事が濃縮される。次に時代背景である。原作の1910年代末は製作当時の1930年代半ばに変更される。それによりヒロイン薫の実家の没落は父の商売の失敗から大恐慌後の兄の株投資の失敗へと、また捲土重来を期す父と兄が向う先は排日移民法*1成立以前のアメリカから満州へと変わる。さらに大きな変更は原作で没落直後に世間体から実家へ戻される嫂の美代子*2は、映画では嫁ぎ先に留まって苦労するうちに結核に羅患し、やがて実家に引取られ白樺派を思わせるサナトリウムに入院する。二人の女性の仲が引き裂かれ、一家は離散してヒロイン一人が寄宿舎に入るという骨子はそのままに、映画は絶間のない運命の翻弄にそよとも漣を立てない水面のような原作の女性像から逸脱する大掛かりなメロドラマ装置を引き込む気満々である。結果として、痙攣性の発作めいた原作の唐突な幕切れを噛み砕いて緩慢に消化するように物語は再構成される。

薫と美代子。時世の移ろいに翻弄される二箇の魂は、ゆかしい福壽草の縁に結ばれてこの世の外の幸せを成就する。



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09/11: 今日の映画

今日はNFCで『朝から夜中まで』と『脱走者』を観る。ドイツ表現主義映画の前者は歪んだ装置の配置やサイレントに逆らって饒舌な小道具の介入が表現主義絵画と地続きの空間を成立させる。在るか無きかのその間隙に大胆にも滑り込んだものたちによって示される時空の焦燥を愛おしく思う。
ソヴィエト・モンタージュ派プドフキンのトーキー第一作の後者で「ソヴィエトの独裁者」の台詞が聞かれるとき一瞬ドキッとするのだけれど、トーキー初期にありがちな音と画とのシンクロニシティのルーズさを逆手に取ってナラティヴを輻輳させるという意外な展開に。当時の独裁者は作者のメッセージを正しく受け取り得たろうか。

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22/10: この世界に洟を擤む欲動にたへたへ見るほどのサイレント映画は存在しない

第26回ポルデノーネ・サイレント映画祭は漸くポルデノーネ市に於いて開催された(2007.10.6〜13)。前世紀末にメイン会場のテアトロ・ヴァルディ老朽化にともなう建替えのため、開催地を近隣のサチーレに移して以来の本来の場処を取り戻したのである。世界中のファンが待ち望んだであろうサイレント映画のメッカの復活!と云いたい処だがしかし、なのである。朝9時から深夜24時までハードに組まれた上映スケジュールは全てライブ演奏付きで、というのは例年通りであるけれど、そこに在るものは絶賛の嵐ばかりではない、試験管に落とし込まれた血の一滴にも似て伸張の一途にある不協和音に脅かされることとなる。



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11/11: 『波高き日』Terje Vigen(1917)

ノルウェーの劇作家H.イプセンが新聞に発表した叙事詩『Terje Vigen』はスウェーデンの監督ヴィクトール・シューストレエムによって映画化された。35mm映写機が無かったからかどうか知らないが、上映された版はスタンダードサイズの横だけが左右に引っぱられてヴィスタ幅になり、登場人物たちは逆シネマスコープ現象でずんぐりむっくりのリリパット族になった。何だかおかしな具合ながら釣られて笑うものはない。この作品はイプセン没後百年のイベントとして上映されました。韻文詩『Terje Vigen』の日本語訳はこちらです。


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30/07: ルビッチュのハリウッドの城

エルンスト・ルビッチュのサイレント喜劇はグロテスクな笑いに満ちておりその作品は独逸的フモールの集大成である、と断言するには相当の覚悟を要すると思われる。人はグロテスク芸術の意味での笑いを彼の作品に差し向けるのではないような。確かに演出はエキセントリックでなくもない、思わず吹き出さずには済まない場面は枚挙に暇がない。しかし(作り手と観客との共謀関係に於いて)どこかで何かが僅かづつ噛み合っていないという後味が残る。味わっているものは一点の濁りのない見事なドゥミ・セック(三鞭酒)なのだけれど。


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24/04: 『タラの心』 The heart of Tara (1916)

映画の修復というのは、この10年程の間に格段の進歩を遂げたようである。寿命60年、80年、100年とも云われるナイトレート媒体の劣化の復原/保全はなおも非常に高価であるけれど、コンピュータのデジタル・イメージ・プロセッシングを使ったコマ単位の修復作業は既に世界のフィルムアーカイヴの常識である。昨今のフィルム復原の成果の一つを早稲田大学演劇博物館デジタルアーカイブ・コレクション ttp://www.enpaku.waseda.ac.jp/db/mov/index.html(要RealPlayer)で確認することができる。


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21/03: 『ニーナ・ペトロヴナ』 Die Wunderbare Luige der Nina Petrowna (1929)

サンクト・ペテルスブルクの豪奢なアパルトマンで何不自由なく暮らすニーナは貴族武官の愛妾である。ある日バルコニーの下を行進する近衛連隊の若い少尉を見初めて薔薇を投げる。受け止めた少尉との恋の始まりは二人の仲を嫉妬する貴族武官の庇護を捨て市井のアパートでの貧しい生活の始まりでもあった。若い二人の恋は順調に進むように思われたが、魔が射したようにポーカー勝負で不正行為を働いた少尉の弱みを握る貴族武官は、それをタネに男と別れて自分の元に戻るようにニーナを脅す。恋人の破滅からの救済と引き換えにニーナは条件を呑む。そうとは知らない少尉は豹変したニーナの態度に怒り彼女の元を去る。翌日かつてのアパルトマンのバルコニーに立って近衛連隊の行軍を見送るニーナの目に大粒の涙が…


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26/02: パンドラからカリガリまで

映画が見直す度に違って見えるというのは本当だろうか。もちろん本当。席によってスクリーンの形が変わって見えることはあるし、他に気を奪われて集中できずにただ眼前を映像が流れていく状態になることもあるだろう。昨日(2/18)の『カリガリ博士』と『パンドラの箱』の場合はそれとは別の理由でそれぞれに異なる作品に見えてしまいました。一本の作品は見直すたびに新たな関心を掻き立てるものだから、改めて意識に上ったその時点まで見過ごされていた些細なディテイルにフォーカスを遷したように見えたことはどうでもよさげで、これまでの何もかもがそれによって台無しになることのない程度に儀式化された自己追認作業に過ぎないのだからと言ってしまうと詰らないけれど、記憶の更新とはおおかたこんなものかも知れない。今回の場合は、見た筈のものが無いとか見た憶えのないものが在るとかいう話だから明快に違う、というべきか、あるいはまた違っているようにも思われました。


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